江戸時代の寺社めぐり旅

伊勢詣でをはじめ、大山や富士山への信仰登山、各種の講などの団体旅行をはじめ、江戸時代には、庶民も江戸市中や郊外のお寺や神社に参詣・参拝を目的に「旅」をしたといわれています。

 そこで当時、書かれた旅日記や道中日記をひも解きながら、実際に歩いてみました。それにしても電車や車のない時代、ほとんどが歩く旅でした。1日に10里、約40㎞も平気で歩いていたようです。もちろん現代の旅は、電車やバス、マイカーも使えます。このあたりは、疲れないように、でもできるだけ「歩く」ことを念頭に、江戸時代の旅をたどってみました。

村尾嘉陵《江戸近郊道しるべ》を歩く№17

『小金井・府中再遊』その③ 

 

 

国分寺を訪ねた村尾嘉陵は、府中を通り多摩川を渡る。現在の東京都多摩市関戸へ行く。いまなら京王線の聖蹟桜ヶ丘駅が近い。ここは鎌倉から続く鎌倉街道が走っている。

 

 

 

小山田の関跡

多摩川には9月から3月までの間、仮橋が置かれていた。4月から8月までは、多摩川の水量が多く、橋を取り除いて船で渡っていた。つまり多摩川を現在の府中市側から多摩市側へ渡ると、「小山田(おやまだ)の関所跡」があった。

  この関、小田原の北条八州を領せし比(ころ)まではありしとみへて、関戸村の名主相沢源左衛門といふものゝ、今に其比(そのころ)の書きたるものなど持伝ふと云ふ。  

 

 小山田の関は、鎌倉幕府の北条氏一族が関八州を支配していた頃まであったと伝わる。地元・関戸村の名主、相沢源左衛門という者がその頃の歴史的な事柄を記した書物などを持っているとのことだ。  嘉陵(かりょう)は、さっそく源左衛門の屋敷を訪ねた。実は、この「相沢源左衛門」こそ、別名・相沢五流(ごりゅう:17461822)という有名な文化人であった。五流は京都で修行した狩野派の画家である。真言宗御室派総本山の仁和寺(にんなじ)で法親王に謁見し、当時の多摩地区では最初の「法眼号」を授かった。調べてみると、東京の八王子にある(東京都八王子市柚木4)曹洞宗の名刹《永林寺》に、五流の描いた杉戸が26枚も残っているそうだ。ぜひ拝見させていただき

たいと思う。

 

 

関戸には、相沢家の菩提寺である、真言宗豊山派の慈眼山《観音寺》がある。行ってみて驚いたが、この相沢五流の墓があった。寺の入口には、多摩市教育委員会作成の説明板があり、五流の肖像画があった。また息子の相沢伴主は生花の「充中流(いんちゅうりゅう)」の創始者であった

そうだ。 

 

 

 

 さて、村尾嘉陵はこの五流の道案内で、鎌倉幕府滅亡への戦場跡の史跡に出かけることになる。いよいよ北条氏を滅ぼした新田義貞の登場である。

 

 ☆慈眼山 観音寺(真言宗豊山派:東京都多摩市関戸5-31-11)ひっそりとした小さな寺だが、「関戸の観音様」として信仰を集めている。 

2010.08.20 20:16
    
  
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